幸福の国・ブータン再訪記(その5)―チョモラリ・トレック― [ブータン]
ブータン滞在2日目からはトレッキングです。今年はチョモラリ・トレックをトレッキングします。
まずは専用車でドゥルゲル・ゾン(Drugyel Dzong)へ。ここがチョモラリ・トレックのスタート地点。
ここはかつてチベットからの侵攻を防ぐ要塞でもありましたが、1951年に火事で焼けて以来、廃墟となっています。
ドゥルゲル・ゾンを見学した後は、馬方さんやキャンプスタッフの方々と合流してトレッキングがスタートします。
我々の荷物やキャンプでの道具、食材等はすべてこのお馬さんたちが運んでくれました。
ルート沿いにあるそば畑。ここも蕎麦の花が咲き誇っていました。
こちらは田んぼ。穂が黒くなっていますが、これは赤米です。ブータンで最もよく栽培されている品種です。
ブータン特産のチリ畑。
↑これがチリ。しし唐にも似ていますが、端的に言えば唐辛子。ブータンではこれを野菜として食べます。ということで辛さは尋常じゃないです。特に種の部分は激辛です!!
途中、吊橋で川を渡ります。この辺りに来ると、民家もまばらになります。
しかし、ときどき現地の人を見かけて「クズザンポー」(=ゾンカ語で「こんにちは」)というと、笑顔で返してくれますし、写真を撮って見せると喜んでくれました。
ここからさらにトレックを登ります(つづく)
幸福の国・ブータン再訪記(その3)―ハ(Haa)周辺探訪― [ブータン]
修士論文の中間発表もあって、だいぶ間が空いてしまいましたが、ブータン探訪記のつづきを。
パロ空港に降り立って、まず初めに訪れたのが、ボンデ・ファーム。ここは西岡京治さんがブータンの農業振興のために造った農場で、のちに西岡さんは国王からダショーの爵位を授かっています。因みにこのダショーを授かった外国人は後にも先にも、この西岡さんだけです。
ボンデ・ファームを出て、くねくねした山道をひたすら登り、チェレ・ラ峠に着きました。看板には3988mとありましたが、GPSでは3780mと表示されていました。
とにかく標高が高いため、酸素が薄く、少し肌寒く、さらには霧もかかってましたが、高山植物を楽しむことができました。
峠から下ってやってきたのが、西部のハ(Haa)という町。ここは2001年になって外国人観光客に開放された町です。
この辺りでは稲作はできないようで、その代わりにそばが栽培されています。訪れた時期はちょうどソバの花が咲き誇っていました。
ここがハのダウンタウン。訪れたのは土曜日でしたが、結構、制服をきた生徒さんが多かったように思います。
街中でも牛が平然と道路を横切っています。
ハからパロへは往路とは違うルートで戻ります。にしても、ブータンは悪路が続き、乗り物酔いを殆どしたことがない私も、気分が悪くなって、戻す羽目に。(><) ただ、その後、私が嘔吐したものを野良犬がペチャペチャ食べていたのにはびっくりしました(^^;)
途中には、牛を使って畑を耕している光景も目にしました。こうした光景もブータンならではですね。
トブジェ・ゾン。ゾンは本来、宗教と行政が一体となった場ですが、このゾンは今は刑務所として使われているとか。
この後、パロに戻り、1日長いバスでの移動を終えて、この日はホテルでゆっくり休みます。(つづく)
幸せの国・ブータン探訪記(その11)―首都ティンプー、パロなど― [ブータン]
だいぶ間が空いちゃいましたが、ブータン探訪記再開です。次の旅行記もあるんで、駆け足で終わらせます。
と思ったら、ソネフォト終わっちゃって、何かと写真のうp面倒ですしorz
さて、ティンプー郊外にはターキン保護区があります。保護区といっても、動物園というか飼育施設といった方が相応しいです。
↑これがブータンの国獣・ターキンです。バッファローみたいですね。
そして、園内には鹿も飼われていて、ターキンがスリスリする一面も見られました。
さらに、車で奥地に行くと、崖に描かれた高僧の壁画。
ティンプー市内で2泊したホテル。市内中心部にも徒歩でアクセス可能で、部屋の居心地はまずまずでした。
ブータンのお酒やお菓子。右端がビール。左端はアラーという名のブータンのお酒。真中はただのミネラルウォーター(笑)ビールは飲みやすかったけど、アラーはちょっとビミョーな味。しかも薄くて水で割っても美味しくなかったですorz
ブータン滞在7日目早朝にティンプーを後にし、パロへ。
パロに向かう途中にあった、つり橋。
パロといえば、郊外にある、タクツァン僧院(英名:Tiger's Nest)この寺院を見るのに、とにかく山を登りまくり、そして一旦谷まで降りて、また登るというかなりハードな道のりが待ってました。しかも、軍による手荷物検査、内部は撮影禁止ととにかく厳重な警備でした。
8日に及ぶブータン滞在を終えて、8月30日に帰国の途につきます。まずは、この日午前にDruk Airでバンコクに向かい、夕方バンコク着。この日は乗り継ぎの関係でバンコク泊。
翌31日は早朝発のUA便で成田に向かうはずでしたが、成田での台風の影響で、機材繰りがつかないようで欠航。代替ルートでタイ国際航空でクアラルンプールへ向かい、10時間ものトランジットを経て、深夜発のマレーシア航空便で翌朝成田に着きました。
これにてブータン旅行記は終わりですが、ホント最後は駆け足になっちゃいました。m(_ _)m
ですが、今年の夏も修論の研究でブータンに再訪するかも知れません。そのときは、より一層詳しく旅行記を描けたらと思います。
幸せの国・ブータン探訪記(その10)―首都ティンプーⅠ― [ブータン]
ブータン滞在5日目、首都のティンプーに入りました。ティンプーには2泊滞在しました。
ティンプーは人口10万人弱で、日本の中小都市位の規模ですが、人口が増加しており、住宅の建設ラッシュが進んでいます。
ティンプーはそれなりに車の通りも多いのですが、信号が一基たりともありません!以前はあったようなのですが、先代の国王が景観にそぐわないとのことで撤去を命じたそうです。。。
そんなわけで、もっとも通行量の多い交差点ではお巡りさんの手信号で車を誘導しています。
ティンプー市内で昼食をとった後は、ブータンの国立銀行で現地通貨のニュルタムに換金しました。(1ニュルタム≒約2円)
国立銀行と同じ建物内に郵便局もあります。ここでは記念切手も売られていました。
市街地から郊外へ向けて車を少しばかり走らせると、タシチョ・ゾンがあります。ここが日本で言う国会議事堂の機能を果たしている一方、ブータンにおけるチベット仏教の総本山でもあります。
そして、タシチョ・ゾンのすぐそばは棚田。国の行政の中枢が棚田に囲まれている国、というのも多分ブータンくらいではないでしょうかね?とにかくブータンは自然が豊富な国です。(つづく)
幸せの国・ブータン探訪記(その9)―ガサ周辺― [ブータン]
話はちょっと前後しますが、ブータン滞在2日目~4日目にかけて訪れたGasa(ガサ)という町(というか集落)についてお届けします。
ガサの町の全景。中央からやや左上にあるのが、ガサ・ゾンでガサにおける行政と宗教の中心地です。
そのガサ・ゾンを近くで見ると・・・
とにかくデカイです!
我々がゾンを訪れた際、子どもの僧たちが10月のお祭りに向けて、踊りの練習をしていました。ブータンでは10月にお祭りが各地方で行われており、それに合わせて多くの観光客が海外からやってきます。
ガサの町は本当に小ぢんまりとしていて、商店や飲食屋が何軒かある位であとは民家ばかりです。
写真左側に移っているのは、巨大なマニ車。チベット仏教では、このマニ車を廻せば一回輪廻を転生したことになり、廻せば廻すほど御利益があるとのことです。
ブータン滞在4日目の朝、ガサを後にし、歩いてダムジ(Damji)に戻ります。その際、ガサ温泉も訪れました。
ところが、昨年5月の集中豪雨で川が氾濫して、肝心の源泉噴出部が水没したとのことですorz
しかも復旧の目処は立っていないとのこと。早い復旧を望むところです。
上の写真のように、チョロチョロと流れ出てはいましたが、これじゃあ心もとないですね(^^;)あと、硫化水素の匂いがかなりきつかったです。年に何回か下水溝で作業員の方がこれを大量に吸って亡くなる事故も起こっているくらいなので、大変危険です!
寂れてしまった温泉を後にして、再び歩いて戻るのですが、途中ヒルが多く出て、悩まされました地面から這い上がってくるのもいれば、木の葉から落ちてくるのもいました。私も左手首をやられました。でも、ヒルが出る、ということは別の意味ではそれだけ生物も豊か、ということです。
それはさておき、途中から行きと同じルートに戻りましたが、行きにはなかった、新たな土砂崩れも見られました。道路は結構いい加減な造りなので、ちょっとの雨ですぐに土砂崩れが起こるのです。
現在、ガサには自動車が通れる道はありませんが、地元住民の道路建設の要望は高いようで、あと5年もすれば、車でガサへ行けるかもしれません。しかし、道ができることで、トレッキングルートが縮小したり、馬で荷物を運ぶ馬方さんの仕事が減る、といった文化の喪失も考えられます。
「経済発展に特化しない、緩やかな発展」を目指すブータンでも、便利さをとるのか、それとも文化を優先するのかは難しいところです。そんなことを思いつつ、次の目的地に向かいます。(つづく)