夜行急行「きたぐに」乗車記(大阪→新潟)(その2) [夜行列車]
今回はA寝台以外の他の車内設備を見ていきましょう。
急行「きたぐに」は10両編成でA寝台が1両、3段式B寝台が4両、グリーン車指定席が1両、普通車自由席が4両となっています。
まずはB寝台。A寝台と同じく、レールに対して平行に寝台が並んでいます。ただ、3段式なのでA寝台に比べると、高さは低くなります。
まず下段。寝台幅はA寝台下段と同じく、106cmとゆったりしていますが、高さは約76cm。ただ、窓側には頭を入れれる空間があるので、何とか寝台内で座ることができます。
寝台料金は2段式B寝台と同じく、6300円でございます。
中段。寝台幅は70cmですが、高さは68cmしかなく、まさに寝るためだけのスペースといった感じです。
上段も中段と同じく、寝台幅70cm、高さ68cmで更に天井が湾曲しています。
上段と中段は下段に比べて快適性が劣ることから、寝台料金は5250円に設定されています。
しかし、B寝台にも乗り得な区画があります。パンタグラフ下の部分は天井が低いため、2段しか寝台がありません。上の写真でも、パンタグラフ下の区画には小窓が1つありません。それ以外は窓の上に、小窓が縦に2つありますが。
この部分の中段は「パン下」と呼ばれており、他の寝台に比べて高く、かつ寝台料金も上中段と同じ5250円です。中段なので、のぞき穴程度の小窓しかないのと、人によってはパンタグラフが架線をする音が気になる、という難点がありますが、それでもここの区画は高い人気を誇っています。
グリーン車指定席。座席からして、元381系「スーパーくろしお」「やくも」のパノラマグリーン車に装備されていたものと同じものと思われます。ごらんのとおり、2-2配置でシートピッチは1160㎜ですが、できれば2-1配置に改修してほしいところです。
最後に普通車自由席。3段式寝台も昼間はボックスシートに変更できる仕様です。ただ、「きたぐに」は終点までずっと寝台のままです。逆に、自由席は寝台に変更されないよう、座席にロックがかかっているようです。(自由席にも関わらず、座席を寝台にセットして、寝てたという乗客もいたんだとか・・・(^^;))
「きたぐに」は大阪と北陸・新潟を結ぶ夜行列車だけでなく、関西圏や新潟エリアでの短区間で、自由席の乗客もそれなりにいるようで、深夜の「ホームライナー」あるいは朝の「通勤ライナー」的な役割も果たしています。
この日は3連休の中日、ということで北陸、新潟から大阪へ遊びにきたと思われるお客さんでそれなりに盛況していたと思います。きたぐには上りは朝6時前に到着し、下りは深夜11時半前に出発するので、1日たっぷりと大阪を満喫できるダイヤとなっています。
いろいろ車内を回ったり写真を撮影してたら、発車の時間が近づいてきましたので、自分の寝台に戻ることにします。(つづく)
夜行急行「きたぐに」乗車記(大阪→新潟)(その1) [夜行列車]
’09年1月に今は亡き寝台特急「はやぶさ」に乗って以来、すっかり夜行列車にハマりましたが、9月下旬の3連休に夜行急行「きたぐに」に乗ってきました!
夜行列車の旅は、’09年11月末に青森から大阪まで寝台特急「日本海」に乗って以来、1年10か月ぶりになります。
話は変わりますが、このとき乗った「日本海」、’12年3月のダイヤ改正で廃止になると一部新聞で先行報道されました。ここ最近の傾向を見ると、廃止は濃厚ですが、それでも来月中頃にJRグループから正式に発表されるまでは、ガセであってほしいと願っています。
2011.09.24(Sat) 大阪23:27→8:29新潟 急行「きたぐに」(列車番号:501M)
さて、話を元に戻します。
3連休といえども、うちの会社は完全週休2日制じゃないので中日の土曜は仕事(泣)。仕事を終えてから、在来線を乗り継いで大阪駅までやって来ました。
駅構内の売店でお酒を買ってからホームに行くと、既に列車は入線していました。「きたぐに」は定期列車で唯一、583系電車で運行されています。
583系は1968年に開発された昼夜兼用、更に世界初の寝台電車で昼は座席、夜は寝台に使える電車ということで脚光を浴びました。
しかし、その後寝台列車が衰退していく中で、583系は行き場を失い、今では「きたぐに」のみに定期運用に入っている次第です。
では、さっそく中に入ります。
今宵の宿は「きたぐに」の中でも最上級設備である、7号車のA寝台(写真は減光時に撮影)。もともと583系にはA寝台はありませんでしたが、急行「きたぐに」ではA寝台の需要が高かったので、3段式B寝台から改造した経緯があります。
14番下段が私の寝床。ベッド幅も106cmと広く、窓も大きいので、車窓を独占できます!
こちらはA寝台の上段。屋根裏部屋って感じのスペースで窓ものぞき穴程度の小さなものです。正直言って、これで9540円のA寝台(上段)料金を払うくらいならば、B寝台下段もしくはパンタグラフ下の中段(いわゆるパン下)の方がいいと思います。
次回はA寝台以外の寝台、座席を見ていきます。(つづく)
'09年秋休みの旅(その16)―寝台特急「日本海」乗車記(青森→大阪)Ⅵ― [夜行列車]
滋賀県内に入ると、左手側には琵琶湖が見えます。海かと思っちゃうくらい、本当に大きいですね。
対する右手側には紅葉で紅く染まった山々が見えました。
やはり、足の遅い客車列車の宿命で、途中で運転停車して、後続の「サンダーバード」と「雷鳥」に道を譲ります。
湖西線で遅れを幾分取り戻して、京都には3分ほど遅れて到着しました。
京都からはいよいよラストスパートです。
向日町を過ぎて、京都総合車両所の脇を通ります。485系から改造された183系、583系、元「エーデル」のキハ65形などがいました。
吹田辺りでは右手側に一瞬0系が見えました!いろいろ調べると、その0系は22-7007号車で一昨年12月に引退した後、JRが吹田市へ譲渡したものだそうです。
新大阪を発車し、淀川を渡ったところで最終の車内放送が入ります。車掌さんも夜通しの勤務、お疲れさまでした!(^ー^)
何だかんだありましたが、大阪にはほぼ定刻に到着しました。青森からの長旅お疲れ様でした。
敦賀から先頭に立ってきたローズピンクのEF81。短区間でしたが、お疲れ様でした。
そして、10:37頃、宮原総合運転所に向けて回送していきました。列車が完全に見えなくなって、ホームを後にしました。
<おまけ>
方向幕を見ていると、一瞬だけ今は亡き「出羽」の名前を見ることができました。
'09年秋休みの旅(その15)―寝台特急「日本海」乗車記(青森→大阪)Ⅴ― [夜行列車]
「日本海」の牽引機は敦賀に所属しており、敦賀→大阪→青森→敦賀といった運用をこなしているものと思います。因みに上りの「トワイライトエクスプレス」も同様に敦賀で機関車の交換が行われているようです。
青森から先頭に立ってきたトワガマは到着後、すぐに切り離されます。
この機関車は三菱重工製なんですね。
トワガマがホームから遠ざかっていきます。お疲れさまでした~(^ー^)/
客車はJR東日本持ちの24系(一部24系25形)。今回は客車8両+電源車1両でしたが、繁忙期にはさらに4両増結されます。白帯の車両と金帯の車両が混結され、美しい編成とは言い難いですが、やはりブルートレインには風格が感じられます。
しばらくして、別の機関車が入線してきました。今度は標準色(ローズピンク)のEF81-48です。
↑連結時のシーン。こうして機関車の連結シーンも長距離列車ならではですね。
連結作業も完了し、大阪へ向けて出発します!(つづく)
'09年秋休みの旅(その14)―寝台特急「日本海」乗車記(青森→大阪)Ⅳ― [夜行列車]
酒田を過ぎて床に就いたものの、午前2時半前に目が覚めてカーテンを開けると、そこは新津。こんな真夜中にも関わらず、乗降扱いの停車です。
新津では反対側のホームに下り青森行の「あけぼの」がいました!この「あけぼの」も早いうちに乗ってみたいです。
6:16の金沢到着時に目が覚めたので、ここから起きておくことにします。
それにしても、寝台列車に乗り慣れたせいなのか、それともこのA寝台そのものが良かったせいなのか、よく分かりませんが、今回はぐっすり寝れた感じがしました。
6:40にお約束の「おはよう放送」が入り、車内放送による案内が再開されます。Youtubeでは、ハイケンスの最初の部分が欠けていますが、そこはどうかご容赦を(^^;)
前夜の車内放送では車内販売は福井からの営業とありましたが、いざ当日になると、「おはよう放送」終了後に始まりました。上りも下りも車内販売は行われていますが、下りはその日の販売状況によって区間も変わるみたいで、それが翌朝の上りでの営業区間に影響してくるものと思います。
さて、車掌さんからの案内もありましたが、進行方向左手には白山が見えてきました!
車内販売で購入した駅弁を朝食とし、朝食後は車内散歩に出かけることに。とはいっても、「日本海」は12号車のA寝台以外は、全て開放型のB寝台車で、他にこれといった設備もありません。
B寝台下段。
B寝台上段。
B寝台車は通路が絨毯敷きになっていたり、洗面所も自動で水が出るタイプになっていたりで、客室内は原形を留めつつも、ある程度の手入れがされていました。
このまま順調に走っていくかと思いきや、福井を過ぎてから濃い霧の影響で、列車は60km/hほどのゆっくりした速度で走っていきます。
北陸トンネルを抜けて、10分ほどの遅れで敦賀に到着です。ここでは、上り列車ならではの一大イベントが待っています。(つづく)