寝台特急「あけぼの」乗車記(上野→青森)(その1) [夜行列車]
今日で3月が終わり、いよいよ明日から新年度ですね。気づけば、3月は今まで全然更新してませんでした(笑)
さて、半年前になりますが、9月下旬に寝台特急「あけぼの」に乗って来たのでその乗車記をお届けします。
旅のスタートは上野駅地上ホーム13番線。夜になると閑散としています。
当初の予定時刻より若干遅れて、寝台特急「あけぼの」が尾久客車区より入線してきます。
上野駅地上ホームは行き止まり式で機回しもできない構造のため、最後尾の機関車が客車をプッシュして進む、いわゆる推進運転で入ってきます。
通常の推進運転だと25㎞/h制限がかかりますが、先頭の客車に非常用のブレーキ弁を備えて信号等確認の運転士を乗務させ、機関士と無線のやり取りを行うことで、45㎞/hまで制限が緩和されます。
先頭はEF64形電気機関車。一時期はEF81形機関車が上野~青森を通しで牽引したこともあったようですが、上越の山越えには力不足だったようで、上野~長岡はEF64形が牽引しています。
客車は24系と24系25形の混結編成。白帯が24系、金帯が24系25形です。上野より最後尾は「レディースゴロンとシート」車で、殿方はお断りです(笑)
発車前のひと時。同業者をはじめ、いろんなお客さんが乗車前にいろいろ撮影されていました。
新幹線や飛行機、さらには格安の夜行バスといろんな競合相手が出てくる中でも、「あけぼの」は首都圏と庄内、秋田、津軽地方とを結ぶ足として、一定の支持を得ているようです。
発車前にいろいろ撮影をしているうちに、発車の時間となりました。これより12時間半の夜汽車の旅が始まります。(つづく)
さて、半年前になりますが、9月下旬に寝台特急「あけぼの」に乗って来たのでその乗車記をお届けします。
旅のスタートは上野駅地上ホーム13番線。夜になると閑散としています。
当初の予定時刻より若干遅れて、寝台特急「あけぼの」が尾久客車区より入線してきます。
上野駅地上ホームは行き止まり式で機回しもできない構造のため、最後尾の機関車が客車をプッシュして進む、いわゆる推進運転で入ってきます。
通常の推進運転だと25㎞/h制限がかかりますが、先頭の客車に非常用のブレーキ弁を備えて信号等確認の運転士を乗務させ、機関士と無線のやり取りを行うことで、45㎞/hまで制限が緩和されます。
先頭はEF64形電気機関車。一時期はEF81形機関車が上野~青森を通しで牽引したこともあったようですが、上越の山越えには力不足だったようで、上野~長岡はEF64形が牽引しています。
客車は24系と24系25形の混結編成。白帯が24系、金帯が24系25形です。上野より最後尾は「レディースゴロンとシート」車で、殿方はお断りです(笑)
発車前のひと時。同業者をはじめ、いろんなお客さんが乗車前にいろいろ撮影されていました。
新幹線や飛行機、さらには格安の夜行バスといろんな競合相手が出てくる中でも、「あけぼの」は首都圏と庄内、秋田、津軽地方とを結ぶ足として、一定の支持を得ているようです。
発車前にいろいろ撮影をしているうちに、発車の時間となりました。これより12時間半の夜汽車の旅が始まります。(つづく)
寝台特急「日本海」乗車記(大阪→青森・その5) [夜行列車]
前回のつづき。
定刻より1時間40分遅れで終点・青森に到着した寝台特急「日本海」。
到着してほどなく、この日の牽引機が切り離されます。
列車の進行方向には、青函連絡船への乗り換え用跨線橋が残っていました。今は線路で分断された駅の東側と西側をつなぐ通路として使われているようですが、駅のホームからはアクセスできないよう、塞がれていました。
電源車カニ24 100番台。今は亡き「出雲」(もちろんブルトレ時代の頃)を中心に使われた車両です。
最後尾1号車はオハネフ25。日本海は金帯と白帯の車両が混結されています。金帯の車両は24系25形で、元「あさかぜ」の車両です。白帯は24系客車、もともと3段式B寝台が2段式に改造された経緯があります。
最後尾の1号車の方向に行くと、DE10が連結されていました。ここから青森車両センターまではDE10がけん引します。
11時前に、大阪から到着した「日本海」は青森車両センターに向けて回送されていきました。
にしても、今年の冬はとにかく雪と風がひどいようで、一時「日本海」や「きたぐに」もずっと運休が続くこともありました。これによって、せっかくの乗車計画がパーになってしまった、という方も多くいらっしゃることと存じます。
私がお別れ乗車したクリスマス3連休も猛寒波がやって来るということで、当日までちゃんと走ってくれるかどうか心配でした。まあ、結果的には無事に走ってくれましたが。
定期列車として走るのはあと数日のみ、その後多客期の臨時列車として走るのみとなります。それも長続きしないのでしょうけども、1日も長く走っていてほしいものです。
そんなことを思いながら青森駅の駅前に出てきました。前回訪れた時よりも駅舎は綺麗になっています。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸も綺麗になってました!(訪問記はこちら→その1 その2)
この風景、まさに「青森駅は雪の中~」がピッタリですね。それにしても、北国の雪は尋常じゃないな・・・。
定刻より1時間40分遅れで終点・青森に到着した寝台特急「日本海」。
到着してほどなく、この日の牽引機が切り離されます。
列車の進行方向には、青函連絡船への乗り換え用跨線橋が残っていました。今は線路で分断された駅の東側と西側をつなぐ通路として使われているようですが、駅のホームからはアクセスできないよう、塞がれていました。
電源車カニ24 100番台。今は亡き「出雲」(もちろんブルトレ時代の頃)を中心に使われた車両です。
最後尾1号車はオハネフ25。日本海は金帯と白帯の車両が混結されています。金帯の車両は24系25形で、元「あさかぜ」の車両です。白帯は24系客車、もともと3段式B寝台が2段式に改造された経緯があります。
最後尾の1号車の方向に行くと、DE10が連結されていました。ここから青森車両センターまではDE10がけん引します。
11時前に、大阪から到着した「日本海」は青森車両センターに向けて回送されていきました。
にしても、今年の冬はとにかく雪と風がひどいようで、一時「日本海」や「きたぐに」もずっと運休が続くこともありました。これによって、せっかくの乗車計画がパーになってしまった、という方も多くいらっしゃることと存じます。
私がお別れ乗車したクリスマス3連休も猛寒波がやって来るということで、当日までちゃんと走ってくれるかどうか心配でした。まあ、結果的には無事に走ってくれましたが。
定期列車として走るのはあと数日のみ、その後多客期の臨時列車として走るのみとなります。それも長続きしないのでしょうけども、1日も長く走っていてほしいものです。
そんなことを思いながら青森駅の駅前に出てきました。前回訪れた時よりも駅舎は綺麗になっています。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸も綺麗になってました!(訪問記はこちら→その1 その2)
この風景、まさに「青森駅は雪の中~」がピッタリですね。それにしても、北国の雪は尋常じゃないな・・・。
寝台特急「日本海」乗車記(大阪→青森・その4) [夜行列車]
前回のつづき。
翌24日は酒田に到着したあたりで目が覚めます。このとき、すでに20分程度遅れていた模様。
さらにその後、強風の影響で徐行していたため、遅れは1時間に拡大。本来は東能代発車後のおはよう放送が秋田到着前に放送されました。(またも、窓に自分の顔が反射してしまったせいで、収録失敗ですorz)
夜は明けていき、列車は白銀の世界を快走します。
8時半ごろに大舘に到着。大舘といえば「鶏めし」、ということで大阪発車前にTELにて予約したお弁当を受け取りました。駅弁は後日紹介します。
少しずつ遅れを回復させているかと思いきや、奥羽本線内で人が倒れていたとのことで運転見合わせ
翌25日の朝刊によると、川部~北常盤間で62歳の男性の方が川のカモを捉えようとしたところ、架線に道具が接触してしまい、感電した模様。警察の現場検証もあり、一旦運転見合わせとなりました。(その男性は重傷でしたが、命に別状はなかったようです。)
結局、弘前では30分近く停車し、遅れは1時間40分に拡大して、青森に到着することに。あと20分くらい遅れていたら、特急料金全額払い戻しになってたのにorz
何はともあれ、無事に青森に到着。大阪から実に17時間近くもかけてやって来ました。長旅お疲れ様でした、と言いたいところですが、まだまだ終わりません。列車を見送ることにします。(つづく)
翌24日は酒田に到着したあたりで目が覚めます。このとき、すでに20分程度遅れていた模様。
さらにその後、強風の影響で徐行していたため、遅れは1時間に拡大。本来は東能代発車後のおはよう放送が秋田到着前に放送されました。(またも、窓に自分の顔が反射してしまったせいで、収録失敗ですorz)
夜は明けていき、列車は白銀の世界を快走します。
8時半ごろに大舘に到着。大舘といえば「鶏めし」、ということで大阪発車前にTELにて予約したお弁当を受け取りました。駅弁は後日紹介します。
少しずつ遅れを回復させているかと思いきや、奥羽本線内で人が倒れていたとのことで運転見合わせ
翌25日の朝刊によると、川部~北常盤間で62歳の男性の方が川のカモを捉えようとしたところ、架線に道具が接触してしまい、感電した模様。警察の現場検証もあり、一旦運転見合わせとなりました。(その男性は重傷でしたが、命に別状はなかったようです。)
結局、弘前では30分近く停車し、遅れは1時間40分に拡大して、青森に到着することに。
何はともあれ、無事に青森に到着。大阪から実に17時間近くもかけてやって来ました。長旅お疲れ様でした、と言いたいところですが、まだまだ終わりません。列車を見送ることにします。(つづく)
寝台特急「日本海」乗車記(大阪→青森・その3) [夜行列車]
前回のつづき。お休み放送が終わってからもしばらくは起きて、夜の車窓を眺めて過ごします。
静かな夜のA寝台。絨毯やカーペットが赤っぽい色なので、薄暗くなると、何とも言えない、夜汽車らしい雰囲気を醸し出してくれます。(^^)
金沢までほとんどの寝台が埋まりましたが、それでも下段が一つ空いたままでした。どうせ乗るんだったら、下段が良かったな~。
そうこうしているうちに、深夜0時前に直江津に到着。
吹雪くなか発車を待つ、「日本海」。この日の牽引機はEF81-108号機。大阪から青森までの全区間、先頭に立ちます。
日付をすぎ、翌24日になった頃に直江津を発車。この辺りで就寝することにします。
それではおやすみなさい
静かな夜のA寝台。絨毯やカーペットが赤っぽい色なので、薄暗くなると、何とも言えない、夜汽車らしい雰囲気を醸し出してくれます。(^^)
金沢までほとんどの寝台が埋まりましたが、それでも下段が一つ空いたままでした。どうせ乗るんだったら、下段が良かったな~。
そうこうしているうちに、深夜0時前に直江津に到着。
吹雪くなか発車を待つ、「日本海」。この日の牽引機はEF81-108号機。大阪から青森までの全区間、先頭に立ちます。
日付をすぎ、翌24日になった頃に直江津を発車。この辺りで就寝することにします。
それではおやすみなさい